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【対談】F太さん×名越康文(2)本気で好きになる対象を見つけるには

X(旧Twitter)フォロワー10万人を超える「F太」さんとの対談シリーズ、第2弾では、「本気で好きになる対象を見つけるには」をお届けします!


F太

1984年生まれ。Twitterを中心に活動。うまくいかない日々の中、ダメな自分自身がかけてほしい言葉や、めんどくさいながらも何とか行動するための方法などをTwitterでつぶやき続けていたところ、多くの共感を得られてフォロワーが急増。

https://twitter.com/fta7


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前回はこちら→



■「本気で好きになる対象」を見つけるには

 

F太 僕が就職活動がうまくいかなかったのって、結局、エントリーシートを書けなかったからなんです。エントリーシートを書くためには、本当にその企業を好きにならないと書けないって、思っちゃって。そうすると、そこまでのめりこめなかったんですね。

 

名越 いやいや……正直、そこまで就職活動でちゃんと好きになった会社を受けてる人って、どれだけいるんやろ?

 

でもまあ、そのへんは僕も似てるかもしれません。僕は高校時代、最後の1年間だけ必死に勉強したんですけど、その動機は「あ、俺絶対、サラリーマンになれないやろうな」と思ったからなんです。

 

なんでサラリーマンになれないと思ったかといえば、自分の勤める会社を心の底から愛して、上司を尊敬できなかったら、それこそ俺は死んでしまうやろうと思ったからなんです。でも、そんな会社も上司も、そう簡単に出会うわけがないじゃないですか。だから、医師免許を取ろうと。そうやって勉強にのめり込むことで、そういう現実から目をそらそうとしたんやと想います。

 

F太さんも、そういう納得感がないと、動けない人なのかな。

 

F太 そうですね。僕も、納得できないと動けない、というところはあるように思います。

 

名越 ちょっと面白いこと言いましょうか? 養老先生も全く僕らと一緒なんやで。

 

F太 そうなんですか。

 

名越 2人で本を出したとき、本の宣伝のために、いろんな質問に答えるでしょう? そのとき、同じような質問を受けた養老先生は「その企業に入ることを納得してる、あるいは誰か尊敬できる人がいないんだったら、そんな仕事、辞めるべきだよ」って言わはったんです。もうそれで終わりなんです。

 

でも、僕もまったく同じ意見です。F太さんは、「社会適応する能力」という意味では120%の力を持っている方ですよ。でも、肝心の「この仕事が好きだ」「この上司が、素晴らしい」っていうのがないと動けない、というところで引っかかる。そういう人は、能力とは関係なく、社会適応性は悪くなるよね。

 

F太 そうですね。なんか合わないっていう感覚があると、動けない。逆に、みんなはそういう感覚が出てきたとき、どうしているんだろう、って。

 

名越 それは僕も聞きたい(笑)。

 

F太 就職活動の本を読むと、エントリーシートを書く技術とかは書いてあるんです。それを読んで、エントリーシートに文字を埋めていくことはできる。でも、それをこなしている自分の中に、まったく違う自分がいて、まるで納得できていないんですよ。そういう違和感を無視できないと、なかなかエントリーシートって書けないように思うんです。

 

名越 だから、けっこうマジョリティは、大学3年生ぐらいから、だんだん自分を白紙の状態にしていくっていうことをやるんじゃないかな。それはそれで、ある種過酷なプロセスなんやけどね。



 

 

■「こだわる」ということこそが、病気の本体

 

F太 そうやって社会適応していかないと、大人になれない、ということだとおもうんですけど、そこでさらに「何をもって大人と呼ぶか」という大問題が出てくると思うんです。

 

名越 その質問はね、僕よりも「精神科医N」のほうがうまく答えられそう。

 

F太 そうなんですね(笑)。

 

名越 というより「精神科医・名越康文」としては、ちょっと答えづらい問いなので。というのも、僕はアドラー学派なので、アドラー心理学としての答えになってしまうんです。

 

でも、ここではあえてアドラー心理学の教科書的な答えではなく、フロイトの理論を借りるなら、大人になるっていうことは「社会適応性の悪い神経症者」から「社会適応性の良い神経症者」に変わる、ということになるんだと思います。

 

F太 あー、なるほど!

 

名越 乱暴にいうと、人はどのみちノイローゼやと。どうせノイローゼになるなら、自分の食いぶちを自分で稼げるノイローゼのほうがましやで、というのがフロイトの教えですね。

 

でもね、この思想の背景には、フロイトがユダヤ人だった、ということもあると思う。今でもそうだけど、当時のヨーロッパ社会でユダヤ人が生きていくためには、ドイツならドイツ、イギリスならイギリスに適応していく、ということが必要だったと思うんですよ。

 

まあ、いずれにしても全然元気づけられない話なんですけど。

 

F太 いやいや、勇気づけられました。

そうなると次は「そもそも病気ってなに?」っていう問いが出てくると思います。僕は自分でも「病気」かもしれないと思うことがあります。そんな僕でも、自分が適応できる場所をインターネットの世界にたまたま見つけられたという感覚があるんです。

 

そして今、なんとかこの社会の中で生きている僕は、就職活動に失敗したころの僕と、何も変わっていない感じもするんです。病気のままなんですけど、いいですか? みたいな。

 

名越 それが真実だと思いますよ。医学では決してそうは考えないと但し書きの上で言うのですが、病気は「治る」んじゃなくて、ある病気から、違う病気に変わる(転化)だけなんです。たとえばね、僕は長年、鼻炎に悩まされていたんです。でもそれが30代の半ばごろ、すっと治ったんです。ところが治ったその直後から今度は呑気症っていう、息を飲み込むとげっぷが出るっていう症状が出始めた。

 

こんなのは、今の医学だとまったくエビデンスはありませんよ。でも、精神科医だったら、「そういうこともあるよね」と言ってくれる人はいると思います。病気っていうのは転化していく。だから大事なことは「治す」ことではなく、「居場所を見つける」っていうことなんだと思っています。

 

F太 なるほど。ある種「放っておく」という手もあるんですね。

 

名越 放っておくって、究極の治療かもしれないですよ。ノイローゼとかある種のうつ病にとっては、それを治そうとか、自分のピークに戻したいっていう人って、もう、ものすごい苦労し続けるんですよね。それよりは、そこは放っておいて、自分が得意なところでやっていくほうがよかったりする。

 

F太 でも、不思議と、病気の部分というか、自分の苦手な、困っていることにこだわってしまうんですよね。

 

名越 そこですよね。そう、絶対こだわっている。これをなんとかしないといけない、というふうにね。でも、仏教的にいえば「こだわる」ということこそが、病気の本体なんです。

 

F太 ああ、なるほど。「病気にこだわっている」というよりは、「こだわっていること」自体が病気だ、ということですね。

 

名越 そうです。これは野口整体でよく言われることです(※あくまでも私の理解の範囲です)けど、病気っていうのは本来、どんどん転化していくものなんですね。こだわらなければ、どんどん転化して、別のものへと移り変わっていく。そのプロセスを滞らせてしまうと「膿んで」くる。だから、病気を「経過」させるのが大事だという考え方があるんです。

 

いわば、病気というのは身体のなかの「サイコロ」だと考えるといいかもしれない。放っておくと、サイコロの目が変わる。サイコロの3の目が出てるとき、すごく苦しいと。でも、苦しいからといって、サイコロをつぶそうとしてもうまくいかない。苦しい。でも、放っておくと、サイコロの目はどんどん変わっていく。5が出て、1が出て、4が出て……というふうに変わっていくうちに、人の一生が終わっていく。

 

F太 あのう……ということは、「病気の種類」って、選べないんでしょうか?

 

名越 いいところに気づきました(笑)。そうなんです。選べないんですよ。でも、サイコロの目が変わっていくなかで、自分にとって付き合いやすい病気に落ち着く、ということは起こりうると思います。

 

たとえば僕は、学生時代に、自分はどう転んでもサラリーマンをやったり、ビジネスをやるのは無理だと思った。親は僕に医者になれ、と言ってくる。正直、医者も向いていないなと思ったけど、医者のなかでも、どうやら精神科はちょっとおもしろそうだと。カウンセリングはおもしろそうだと。

 

ただ、今度は「カウンセリングでお金を取る」っていうことに引っかかってしまって。そうやって苦しんでたんですけど、54歳のときに音楽の運が巡ってきた。それでバンド仲間ができて、音楽活動をするようになって、ようやくアイデンティティが獲得できた、という感じがあるんです。

 

F太 いやあ。それは勇気が出るお話です。

 

名越 そんな簡単にね、既製品がしっくりくることってないんですよ。

 

F太 そうなんすよね。既製品っていう感覚すごくあります。僕もツイッターに出会ってなかったら、自分の居場所は見つけられてなかったと思います。

 

名越 僕は54歳でようやく「よし、俺は歌手」。それから10年間も必死の思いして、発声練習も今もしてますし。だからF太さんはむしろ、僕より早く居場所を見つけているのかもしれない。

 

F太 54歳からスタートしても、もう10年やってるって言えるわけですからね。

 

名越 そうなんですよ、ようやくですよ。

 

F太 すごく勇気が出ました。

 

名越 以前お会いした冒険家の人は、アラスカのイヌイットと一緒に、零下何十度のなかでアザラシを狩っているときに「ああ、俺の人生はこれだ!」って気づいたらしいですから、それに比べたら、まあまあ身近なところに居場所が見つかったほうですよね(笑)。

 

そこまでいかなくても、だから皆さん本当ね、納得するまで……。何か飽き性はあかんかもしれんけど、どうも違和感があると思って追求したいなと思ったら、追求していいんじゃないかと思ってるんですよね。

 

F太 すごくなんか勇気をもらえる反面、やっぱりもしかしたら、自分が本当にやりたいことに出会うのは、70や80になる可能性もあるなって思いました。

 

名越 伊能忠敬やな。あの人、70ぐらいで初めて地図作り出した。本居宣長もそんな感じじゃないかな。そんな人もいるから。それとね、そうやって探し続けて、結局見つからなかったとしても、それはそれで、決して悪い人生だとは僕は思わないですよ。だって、「好きなものを探し続ける」って、それはそれで、充実した人生じゃないですか。

 

 

■僕たちは無意識のうちに「比べている」

 

F太 「自分の居場所が見つかっていない」と感じている時期って、けっこうしんどい思いをすることも多いと思うんです。そういう時期、名越先生はどう過ごされていたんですか?

 

名越 そうですね、ひたすら自分を騙していたんじゃないでしょうか。大学時代の友人に聞くと、「いや、名越君は様子がおかしかった」って言われますから(笑)。本人としては真面目にやっているつもりなんですけど、「近寄るな」っていうオーラが出ていたと。F太さんは、そういう時期はなかったんですか。

 

F太 どうなんでしょう。自分ではわからないんですけど、そういう意味では、今でもけっこう、そういうオーラは出ているかもしれません(笑)。

 

最近よく考えるのは、僕たちは本当に無意識のうちに「比べる」っていうことをやってしまうなっていうことなんです。今回の『とげとげしい言葉の正体はさびしさ』でも繰り返し出てきますけれど、この「比べる」病をなんとかしたいって、本当に思うんですけど。

 

名越 今でもそれ、やってしまいますか?

 

F太 全然あります。これはインターネット畑で育ってきたから、というのもあると思います。やっぱりリツイート数とかいいね数っていうのはずっと見てしまいます。

 

名越 それは僕も見ますよ。「おかしいな〜、これの方が面白いはずなのに、こっちの方が倍やな」とかあるよね

 

F太 え? こっちが伸びるの? というのはありますよね。

 

名越 そう! 必ずずれます。だから僕は「大衆の心をつかめない人」っていう自覚があるんですよ。でも、F太さんはむしろ、それをある程度つかめる人であるだけに、思ったようにいかないときのショックは大きそうですね。

 

F太 「おかしいな〜」ってのはやっぱりありますね。ただ、僕の場合、「これやれば「ウケる」ことはわかってる」という部分もあるんですよ。わかってるけど、これはやっちゃいけないよな……という葛藤もあって。それをふっと乗り越えていく人を見て、嫉妬したりとか。

 

名越 なるほど~! めちゃくちゃおもしろい話やね。



<この項つづく>

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