
4月15日配信号のメルマガでは、X(旧Twitter)フォロワー10万人を超える「F太」さんとの対談をお届けします。「精神科医N」新刊『とげとげしい言葉の正体はさびしさ』に感銘を受けたというF太さんと、SNSとの付き合い方、社会になじめないと感じている人が、この社会で生き抜いていく方法についてお話してみました。
F太
1984年生まれ。Twitterを中心に活動。うまくいかない日々の中、ダメな自分自身がかけてほしい言葉や、めんどくさいながらも何とか行動するための方法などをTwitterでつぶやき続けていたところ、多くの共感を得られてフォロワーが急増。
https://twitter.com/fta7
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■断片的な同調を、アナログ的に積み上げていく本
名越 今日はなんと、F太さんに来ていただきました! 精神科医N著『とげとげしい言葉の正体はさびしさ』を読んでいただいたということで、本当に光栄です。
精神科医N著『とげとげしい言葉の正体はさびしさ』
F太 いやいや、こちらこそ! ありがとうございます。実は結構前から名越先生のことは存じ上げておりまして。精神科医Nのtwitterも早くからフォローさせていただいています。
精神科医Nの心がフッと軽くなる言葉(twitter)
https://twitter.com/kotoba_nakoshi
名越 おお、そうなんですね! きっとNも喜ぶと思います。
F太 今日はNさんに直接お会いできるということで、すごく緊張していました。この『とげとげしい言葉の正体はさびしさ』って、つくりそのものが「X(twitter)っぽい」手触りがあるんですよね。それは一言でいうと「余白の多さ」だと思っているんです。
実際、僕はこの本の余白にいろいろ書き込みながら読んでいて。電子書籍ではまた違った読み方になるんだと思いますが、僕のおすすめは紙版で、余白にどんどん書き込む使い方です。パラパラとめくって読みながら、気になった部分があれば、余白にガンガン書き込んでいく。
そうすると、おもしろいことが起きる。たとえば1週間ぐらい前に書き込んだ自分の言葉を読み返すと、まるで初めて聞いた話みたいな新鮮な感じがあるんです。自分で書いたのに「あれ? これってどういう意味?」みたいな。
名越 実は、僕自身もそういうところがあるんです。自分の本なのに、何の気なしにぱらっと開くと、「ええこと言うやないか、N」というような(笑)。
F太 断片的なフレーズが書かれていると、その「余白」を埋めたくなって、自分もまた、断片的な言葉を書きこむ。そこで、Nさんと過去の自分と、そして今の自分の、まるで即興のセッションのような不思議なやりとりが生まれるんじゃないかな、と思っています。
名越 それは、この本の作者である「N」の言葉の特徴かもしれませんね。この「N」というのは、僕なんですけど、同時に僕ではない。Nは僕の性格を受け継いではいるんだけど、実際のぼく以上に、「断片的な言葉でしか表現できないニュアンス」にこだわるタイプな気がしています。
F太 はい。その断片に同調した言葉を書きこんでいくと、なんというか、断片的な同調の歴史が、紙というアナログなものの上に積み重なっていくという、まったく新しい読書体験ができたと感じているんです。
名越 「断片的な同調をアナログに積み上げていく」っていうのは名言ですね! ありがとうございます。
F太 ですから、書き込み用を含めて、2冊ずつ買ってほしいですね(笑)。
■「名前」の力
F太 今もお話がありましたが、今回の本は「名越康文」じゃなくて「精神科医N」名義にされたんですよね。僕も、自分の名前の一部をとって「F太」って名乗っているので親近感がわくんですけど、そこにはどういう意味があったんでしょうか。
名越 それはもう、編集さんからの提案だったんですけどね。実際にやってみると、正直、なんでこれを25年前からやってなかったんやろう、って思いましたね。あの、改めて自己紹介しますと、僕は「名越康文」っていう名前なんですけど。
F太 めちゃめちゃ知ってます(笑)。
名越 その「名越康文」、特に「康文」っていう名前には、ずっと違和感を覚えながら、今日まで生きてきたんですよ。そういうタイプなんです。自分の名前を受け入れるのに、30代後半ぐらいまでかかったかな。
僕は昔、親に「なんで康文ってつけたんや」と聞いたことがあったんです。すると、別の名前にしようと思ってたけど、語呂が悪いとか、いろいろあってお坊さんにつけてもらったんだという話をしてくれた。
それを聞いてね、僕はすごく得心がいった。つまりね、子供時代の僕は、親の表情から「本当はこういう名前にしたかった」というのを読み取っていたのかもしれへん、と思ったわけです。実際は違うかもしれませんよ。もちろん、親は表面的には、決してそんな表現はしてなかったと思うけれど、僕のほうが、無意識レベルでそう受け取っていたのかもしれない。
F太 なるほど。そういう感覚はすごくわかります。
名越 それでね、僕が臨床医として一番忙しかった時期だったと思うんですけど、夜に診療所にFAXが来たんです。テレビ出演の依頼だったんですけど、なんとたった3行の企画書が来て。芸名とか考える暇もなく、「じゃあ来月出てください」「次は東京のスタジオで」というふうになって、そのまま本名で活動することになってしまった。
だから僕の場合、自分の本名には、もともとこだわりがなかったんです。ただの成り行きですね。それが、今youtubeの時代になってみてみると、youtuberのなかで、実名で活動している精神科医って、たぶん僕と和田秀樹先生ぐらいしかいないんです。
……いや、和田先生に会ったら「僕、芸名ですよ」って言われるかもしれへんけど(笑)。
F太 笑。
名越 ごめんなさい、話が脱線して。とにかく、「精神科医N」を著者名にしていちばん変わったことっていうのは、実は「本の宣伝がしやすくなった」ということなんです。
F太 えー! おもしろい。そうなんですね!
名越 そう。「この本いい本やで」「買ってね」って自分が言いやすくなった。だって、これは「名越康文」じゃなくて「N」の本だから、と思えるから。
そう考えると、F太さんは最初からそうだった、っていうのがうらやましくて。
F太 なるほど。でも、僕ら(F太:1984年生まれ)のようなインターネットネイティブの世代って、最初から「ハンドルネーム」をつけるのが当たり前、普通という感覚なのだと思います。
名越 なるほど。僕らの世代との違いですね。むしろ本名でやる人のほうが変わっている、というか。
F太 そうかもしんないですね。確かに、僕らより上の世代ってなると、本名以外の筆名とかハンドルネーム的なものを使うのって、芸能人とか作家さんだけ、っていうイメージがあります。
名越 そうそう。でもね、少なくとも僕みたいに、メディアに出る活動をするとか、今でいえばyoutubeなんかで活動する人は、そういうハンドルネーム的なものを使ったほうがいいと思う。提案してくれた編集の鳥居さんに感謝なんですよ。
F太 いやあ、すごいですね!
名越 最初提案されたときは「なんか俺の名前だと売れ行き悪いんかな」とか思ったんですけどね(嘘です)。でも、ちょっと考えて「それがいい」と思ったんですよね。
考えてみたら、ディズムさんとかもそうやもんな。たぶん、F太さんとも同世代じゃないですかね。日本のTRPGのパイオニアで、僕も舞台とか、イベントに出させてもらって。
F太 僕の周囲を見ていると、僕よりも5から10ぐらい年下の世代で、TRPGはすごく流行っています。そういうのもあって、「役割を演じる」みたいなものが身近になってきているのかもしれないですね。
名越 心理学でいうと昔は、「心理劇」というものがあったんです。ある種の「癒やし」のために演劇をやるんですね。たとえば、母親との関係に悩んでいる人が、誰かに母親役と自分自身を演じてもらう。その「演劇」を自分が見て、いわば「監督」して、その関係改善を試みる、というようなやり方です。
そういう意味では、ディズムさんがやっているTRPGっていうのは、特に舞台でやっているやつは、あれ自体が「治療」だと僕は思っています。F太さんもぜひ、あれに参加してほしいなあ。
F太 ぜひ(笑)。演技っていうのはおもしろくて、必ずしも「自分が演じている」という感覚じゃない、ということがありますよね。
(この続きは、名越康文メールマガジン「生きるための対話」で連載中!)
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