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【心理学】思春期以前の時代

 

最近、世の中全体が「思春期以前」の状態にあるんじゃないかということを考えています。

 

たとえば、僕がこのメルマガで何度かお話している「過剰適応」っていうのは、ある種、「思春期」的な症状だと思うんですね。周囲に合わせようとしすぎる傾向って言うのは、思春期には多かれ少なかれ見られる傾向なんだけど、それをずっと引きずってしまうのが、過剰適応と考えることができる。

 

やたらと空気を読む。人の顔色をうかがう。こういう傾向は、海外ではアダルトチルドレンというカテゴリーになると思うんですが、アダルトチルドレンっていうのは、親がアルコール依存症だったり、暴力的なケースが中心で、そういう家庭で、いつも親の顔色を窺って育ってきた子供がそうなるっていう話なんですけど、過剰適応っていうのは、普通の家庭でも、そういうことが起きるということを表したものです。

 

人に合わせることは上手だけど、自分が何者かはわからない。そういう人が人口の20%あるいはそれ以上いるんじゃないか、というお話を前からしていたんですけど、言い換えると、これは、世間のマジョリティが「思春期的」だったということができると思う。

 

そして今、どういう時代になっているかっていうと、「思春期以前」の時代になっているんじゃないか。

 

思春期のときに人は何を学ぶかっていうと、ひとつは、「相手の話を汲み取る」ということだと思うんです。なぜ「汲み取る」という表現を使ったかというと、単に「話を聞く」というと、いわゆる「指示命令を聞く」という意味だと混同してしまうかもしれない、と思ったからです。「そこで待ってて」とか「これを取ってきて」と言われて、「はーい」と言われたとおりにする。これは、思春期以前でもできる。

 

ここでいう「汲み取る」というのは、相手のエピソードに耳を傾ける、ということですね。これができると、たとえば、長い映画を観たり、小説を読んだりできるようになる。逆にいうと、これができない段階だと、相手の話を最後まで聞くことができなくて、自分の話を始めちゃうんだと思うんですね。

 

一見、話を聞いているように見えても、実は心の中では、自分の思い入れで、相手のエピソードを再構成してしまっている。

 

このあたりの能力っていうのが、だいたい思春期の時期に鍛えられる、とも考えられるんですね。中学生になって、親友ができて、いろいろ話をしていると、どうも話が通じていない。「おい、もうちょっと人の話を聞けよ!」「いやいや、お前が俺の話をもうちょっと聞けよ!」ということをやっていくうちに、鍛えられていく。もちろん、異性とのコミュニケーションでも、最終的にはそういう部分が鍛えられる。

 

ところがここの鍛錬がないまま大人になる「思春期以前の人格」みたいなものが、ある種、その人の人格の主体になってしまっている人というのは、なかなか生きづらいんじゃないか、と思います。もちろん自覚さえすれば大いに改善は可能ですし、誰の中にもそういった欠落部分は存在するものだと思うのですが、けっこう今、SNSなんかを観ていると、この「思春期以前の人格」が前面に出てきてしまって、大変なことになっている方が少なからずいらっしゃるのではないか、ということを感じたので、こうしたお話をしてみました。

 

もしも、参考になった、気づきが得られた、という方がいらっしゃったら、うれしいです。

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